(表紙の写真は時々入れ換えています)
昨今、巷では、アートという言葉が盛んに使われているが、このアートという言葉の響きに、わたくしは、何か、いかがわしさを感じずにはいられない。
絵画、彫刻など、今まで美術と言われてきたものを、視覚表現以外の感性に訴えたり、身体的な表現などを含む安易な表現の統合によって、アートと言う言葉に置き換えられた。それを、表現の解放であるなどと言われた時代が続いた。その結果、絵画、彫刻、視覚デザイン等はその領域の中で積み重ねてきた歴史によって獲得した事(絵画とは何であるのか、そしてその可能性は?彫刻とは何であるのか、そしてその可能性は?視覚デザインとは何であるのか、そしてその可能性は?など)を結果として放棄してしまったために、極めて曖昧なものになってしまった。
そして経済至上主義的な価値観の絶対化との相乗効果で、極めて低俗なものになってしまった。
古今東西を問わず、美術はその時代を反映するだけではなく、人間が生存してきた歴史の中で継承され追求されてきたものである。その意味で、今美術が置かれている状態は、瀕死の状態ではないのか。1960年代後半から美術の進むべき方向を失い、混迷している間に、人間社会の中での居場所を失い(発表活動の場の減少、公教育に置ける美術教育の衰退、など)現代に至っている。この現象は、この30年間に、一部では、30年以上前から指摘されてきた地球環境の深刻な問題が実証されてきた事と、反比例の現象として現れてきていると考えられる。
その意味でも、美術の衰退を考えること、芸術としての美術の復活を考え目指す事は、これから、人間はどんな価値観で生きていくべきであるのか、という事の方向性を示唆できる可能性がある。
このサイトは、その事にどの程度役に立つかは不明であるが、今、私たちが出来る努力として、立ち上げました。
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